母がボケてきている

母からお茶などが届いた。私はマイナーながらもお茶の産地の出身なのだが、母はあまりお茶を送ってくれない。前にお茶を頼んだら、2年後に送ってくれた。でも、忘れずにいてくれたことには感謝である。

 

 なぜ2年もかかってしまったのか。それは母がボケてきているからだ。もう、5年位前から何を頼んでも忘れてしまうので、頼まなくなった。それでもいつも何か欲しいものはないかと聞いてくる。私は冗談ぽく「頼んでも200%忘れるからいいよ。」と言っている。

私たちはほとんど電話などもしないのだが、たとえ電話で話しても、母が話す内容はここ数年いつも同じだ。サークル(英会話やコーラスをやっている)まで歩いて行って電車賃を節約していること。歩けば健康にも良いこと。また財布をどこかに置き忘れてしまったこと。いかに毎日節約した生活をしているか。ナドナド。。。

もう半分ボケているから、「その話は何度も聞いた」などとはいわず、ただひたすら同じ話を聞くようにしている。もともと、同じ話しばかりする人なんだけどね。

 それに最近は電話をしても出ないことが多い。自分でもまともに会話ができなくなっているのが分かっているので、電話にも出ないのだろうか。

 

ボケると言うのは本当に寂しいことだ。会話があやふやだからこちらから話すことはなくなる。話してもしょうがないしな、なんて思って。こうなると母の存在に意味がなくなってしまう。ただ、いるだけ、生きてるだけ。まだ私たち家族のことを考えることができるのだから、ひどいボケではない。でもここ3年ほど、私の息子がレストランで働いているとずっと言っているのに、未だに「あの子、料理好きなの?へー。」なんて言われるとさ、ちょっと悲しいね。

 

実は私はあまり母のことは好きはない。毒親ってやつでね。その母を反面教師として生きてきた。私もそんなにいい母親ではないだろうけど、少なくとも子供にも感謝したり謝ったりちゃんとするけどね。

子供達が10歳ぐらいの時から、一人の人間として尊重するようにしているし。いくら自分の子供でも友達、先生、テレビ、その他もろもろからいろいろな影響を受けているのだから、自分と違った考え方を持っていて当然だと思うんだよね。それを受け入れられなかったのが私の母。いつも母の言いなりにならざるを得なかったので、私の個性や感情は無くなった。

母がまだまともだった頃は、ここに1年おき位に来てくれた。しかし、毎回大喧嘩。いつまでも私は子供のままで、自分の言うことを聞くものだと信じているから。悪いけどここは私の家なんだし、好き勝手にしないで欲しい。

でも、もう来ることはないだろう。母はいつもボケた老人になりたいと言っていた。そうすれば、悲しみも痛みも感じないから。でも実際にボケてきて焦りはないのだろうか。

 

母のボケ具合は年相応だと言う。私は念のため医者に診てもらうように勧めているのだが、自分のサークルの仲間もこんなもんだと言う。今までの母だったら「ボケ老人扱いするな」と怒っただろうに、今は自分でもヤバいと分かっているのだろう、何も言い返さない。

それでも私は母に感謝の気持ちを持つように努力はしている。もう母といい会話はできないので、ただただ、母自身が幸せに暮らしてくれればいいな、と思うので。このままだと希望通りのボケたおばあちゃんになりそうだし、良かったね、お母さん。