ボケること

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前回、母について書いたのでもう少し母のことを書こうと思う。母は今76歳か。父は61歳で亡くなったので、よくがんばって生きているとは思う。でも、本人も分かってはいるのだが、かなりボケている。だからといって医者にかかるとか、専門家に相談するとか、そういったことをするわけでもない。将来的には回り(主に家族)が一番大変になるのだろうが、母が頼れるのは私の弟ひとりきりだ。彼だって仕事があるし、母につきっきりでいるわけにはいかないだろう。彼は一応同居も考えているようだが、同居は母にも弟にもストレスになるので無理だと思う。

 

 

私の母方の祖母も認知症で、たぶん、5年以上は病院に入っていたと思う。もともとは長男の近くに住んでいたので、長男家族が祖母の面倒をみられたら良かったのだろうが、彼らは商売をやっていたし、ちょっと無理だった。しばらくは4人きょうだいの家を順番に回っていたのだが、あまりにも負担が多すぎて入院してもらうことになった。この頃はもうかなり症状が進行していて、得意だったお裁縫をさせようと母が雑巾を作るように頼んだが、めちゃくちゃで全くものになっていなかったらしい。

 

私が最後に祖母に会ったのは渡米する直前。もう、会えなくなるだろうから、と思って母と一緒に訪ねた。新幹線で数時間の距離なので、そんなに遠くはない。このときはボケ始めた頃だったね。「いつアメリカにいくのだっけ?」と何度も何度も聞かれたが、たぶんもう祖母と会うことはないだろうと思ったので、文句は言わずにただひたすら「11月だよ」と答えていた。その頃、私はすでにボケた人との会話はそんなふうにただ受け答えしているのがベストということを知っていたのよね。母は知らなかったから、いつも祖母の言うことを真に受けて、怒りまくっていた。

 

祖母は戦後、横浜から東北に引っ越し、長年商売をしていた。仕事はかなりうまくいっていたのだろう、母を私立の学校に通わせることができたぐらいだからね。祖父は足が悪く、いつも杖をついて歩いていた。たまに転んで怪我をすることもあったが、母曰く、祖父は水泳もできたし、自転車をこぐこともできた、がんばり屋の祖父だったそうだ。祖父の死は突然だった。食べていた昼食をのどにつかえての窒息死だった。もう年も年だったのであまり気にはしなかったが、突然に夫を亡くした祖母は大丈夫だったのだろうか?

 

祖母は足の悪い夫の手伝いをけっこうしていたと思う。特に、年を取ってからは二人で協力しあって生きていたのだろう。そんな相手がいなくなってから、みるみる祖母はボケていったようだった。頭はダメになってしまったが、体は丈夫だったのでけっこう長生きした。最後の方は、母が訪ねても誰だか分からないようだったらしいが。そんな祖母の様子を目の当たりにしていた母なのに、自分のボケには直視できないでいる。自分も病院なり施設に入ることになるのだろうか、などなど考えないのかな?

 

 

ボケよりも今は白内障のことが心配みたいだ。今は薬で様子をみているところ。目が見えなくなったらテレビが見られなくなる、そんなのいやだ、と言っているよ。ほんとうにテレビが好きな人なのでね。足腰を鍛えるために、歩くことは日課にしているらしいし、習い事にも徒歩で通っているそうだ。これもね、真夏の暑い日に熱中症で倒れたこともあるのでね、もう少し考えて欲しいのだけど、もともとあまりものを考える人ではないし(だからテレビをだらだらみているのが好きなのだろう)、私が何を言っても聞かないし、放っておくしかできないね。

 

なんか残念だけど。。。私も遠くにいてあまり手伝えないし。私は長生きはしたくはないな。

 

 

読んでくれてありがとう。