父のことを思い出したきっかけ

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サッポロ一番


私は父とはあまり関わりがなかった。
子供の頃は父は仕事から8時30分ぐらいに帰って来るのだが、私たちは8時に寝るように義務づけられていたので、朝、学校に行く前の少しの時間に父を見る程度だった。父はいつもお茶を飲みながら新聞を読んでいた。(ちなみに土曜の夜は「全員集合」があったので、特別に9時まで起きていられた。)

父はもともと変わった性格だった。父親としてもちょっと変わっていたと思うが、父は子供の頃に空襲で父親を亡くしているので、多分、彼にはお父さん像みたいなのが曖昧で、どんな父親になればいいのか分からなかったのかもしれない。

 

私が小学3年生になったとき、母が近所のファミレスで働きだした。弟が丁度学校に通いだしたので、それをいいきっかけに外で働くようになったのだ。

手伝いはかなりやらされたが、うるさい母が家にいないので私はうれしかった。

それから数年して、母は日曜日は朝から仕事にいきはじめた。別に家計が苦しい訳でもなかったが、まぁ、お金はあるに越したことはないので働くのはいいことかもしれない。それよりも、母はきっと小学生の私たちと一緒にいるよりも、ファミレスで若い男の子たちと一緒に働いていた方が楽しかったのだろうと思う。彼女は小学校から短大まで私立の女子校に通っていたので、この新しい経験を楽しんでいたのだろう。やたらと「大学名プラス名前」でパート先の若い子の話をしていた。「早稲田に行ってる山田くんがねー」といったかんじ。

父は変わった人だったので、父と弟と3人での日曜日はとても違和感があったが、皆で朝食を作ったりしてそれなりに親子っぽくしていた。父は旅行が好きだったので、私たちをいろいろなところに連れていってくれた。軽井沢の氷祭り、神田で食べた大きな餃子、面白かった科学技術館などが印象に残っている。

 

こんな子供の頃の父とのことを急に思い出したきっかけはなんと「サッポロ一番」。はい、インスタントラーメンね。ラーメンはたいてい、アジア食品店で生ラーメンを買っていて、乾麺のタイプはあまり買わないのだが(タイのインスタントラーメンは除く)、スーパーで普通にサッポロ一番が売っていたので買ってみた。食べたら父が日曜日のお昼にこんなかんじのラーメンを作ってくれたなー、と昔のことを思い出してね。当時は今みたいな美味しい、グルメっぽいインスタントラーメンはなくて、サッポロ一番風なものばかりだったからね。父は私たちのために、ラーメンや焼きそば、焦げと戦いながらチャーハンも作ってくれた。父なりに頑張ってくれたのだろうね。

 

しかし、インスタントラーメンがどんなに進化していても生き残っているサッポロ一番。特に美味しいとも思わないのだけど、いつの時代にも人気なんだね。