小籠包の食べ方?

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冷凍の小籠包が売っていたので買ってみた。6つ入りで、プラスチックのトレーごとレンジで暖めて食べられるので、試しに買ってみた。これは豚肉を使ったものでタレもついており、なかなか美味しかった。


次に行ったときにまた買おう、と思ったのだが、残念ながら同じものはなくて、ストアブランドのものしかなかった。まぁ、それでも不味くはないだろう、それに前に買ったのよりも1ドル安いし、こっちも試してみよう、ということで買ってみた。でも、これは豚ではなく鳥だったので、なんか臭みがあっていまいちだった。アメリカのスーパーで売っている鳥は臭くて食べられない。。。唐揚げとかみたいな、ガンガン下味をつける料理法だったら大丈夫だろうが、とにかく臭くて不味い。このタイプの臭い鳥で今回買った冷凍の小籠包は作られたのだろう、味付けはいいかんじだったのに、鳥そのものが不味いのでいまいちだった。


美味しい鶏肉は自然食品店で買える。最近は普通のスーパーでもオーガニックの食品を置いているので、少し高くてもそちらを買った方がだんぜんいい。アメリカ食の味の濃さは、素材の悪さが原因だと思う。日本食は素材がいいので、醤油などのシンプルな調味で美味しいものができる。肉を焼くにしても、日本だったら塩と胡椒だけで美味しく食べられたのに、こちらの肉は不味くて固く、下味につけないと食べられないので、調理が面倒で仕方がなかった。だから、さまざまなシーズニングのミックスが売っているが、しょっぱくて不味い。。。


ちょっと高くてもオーガニックのものなら味がいいので、調理をするのも楽だし、いい素材で美味しいものを食べるのは体にも心にもいいことだ。今は肉も野菜もオーガニックで買えるものはなるべくオーガニックで揃えている。味音痴の夫ですら、オーガニックの野菜は美味しい、と言っていたぐらいだ。こんな不味いものばかり食べていたアメリカ人、かわいそう。ははは。


ところで話は小籠包に戻るが、これってやっぱり一口で食べるものなの?私は口が小さいので、一口ではとてもじゃないが食べられない。。。背が低い上に顔が小さい(らしい)から、口も小さいのだと思う。歯医者でも口が小さいと言われる。この口で小籠包を食べるのは無理、というか、一口で食べないと汁がボタボタ落ちる。。。もったいないじゃん、これじゃ、ただの蒸した餃子っぽいものを食べているだけになってしまうよ。


というわけで、最近は餃子しか買わなくなってしまった。口が小さくて損だった。。。


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夫の病気がわかった!

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何度も病院に行っても全く治る気配がなかった夫の病気。アメリカの医者ってそんなに質が悪いのか?もうね、ヤブ医者って言葉しか思い付かなかったよ。

 

市内には立派な病院が三つもあるのだが、夫は保険の関係で別のクリニックでみてもらっている。仕事の関係で安く健康保険に入れたのだが、やっぱり安物はダメなんだろうね。

 

だけど、夫自身がきちんと自分の症状を医者に説明していないような気もした。1ヶ月ぐらい前に医者に行ったときは、毎日のように吐いているのは、胃のどこかが悪いのではないか、と言われたそうで。それなので、また医者に行くことになったときに、きちんと説明しているのか?と聞いた。「毎日吐いてしまうのは、咳がひどくてその勢いで吐いてしまうのでしょ?ってことは、咳をしなければ吐かないわけでしょ?だから、ゲロはあんまり関係ないわけで、3ヶ月も咳がとまらず、ひどいときは食べたものを吐き戻してしまうぐらいの咳なのだけど、と説明しなさい。」と私は言った。

 

さて、その日は薬を持って家に帰ってきた。ということは、治す糧が見つかったってわけか。結果、肺炎と言われたそうだ。肺のこの辺が悪いらしい、と、自分の手で左胸を押さえていた。抗生物質とせき止めを処方されたようで、本当にこれでよくなるといいのだがねぇ。これが先週末の話だけど、まだ咳はしている。それにしても、何度もレントゲンだって撮っていたのに、誰も肺炎だと気づかなかったのも不思議だ。。。やっぱりヤブ医者なのだろうか?肺炎って分かりにくい病気なのだろうか?

 

その日、私は外出をする用事があったので夫の車を借りた。車の中には彼がクリニックに行ったときの書類があった。このときは週末だったので、いつものクリニックではなく、全米チェーン店のファーマシーの中にある、簡易クリニックを利用するように指示されていた。安クリニックと違って、こんなに見易い書類を作ってくれるんだ、とびっくりしたのだが、もっとびっくりしたのが、夫の体重!結婚したころよりも40ポンドも増えているではないか!40ポンドどは20キロ弱、計算してみると18キロと出たよ。これじゃぁねぇー、不健康になっても仕方がないわ。BMI値は29。男は筋肉があるからBMIが高くなりがちだが、夫は運動をしないので筋肉は減ってしまったし、やっぱり太りすぎである。

 

私の体重は若い頃よりも増えてはいるが、それはここ10年ぐらい運動をして筋肉がついているから。どうやら筋肉がつきやすい体質らしく、夏の頃など皆に驚かれる。筋肉がすごいねぇ、と。自分では自覚はないのだが、確かに昔の写真をみると、若いくせにタルタルに見える。運動の大切さを確認したね。

 

そういえば、私が小学生ぐらいだった頃、父も肺炎になって1週間ぐらい入院していたな。家から歩いて10分かそこらの病院だったのに、一度しかお見舞いに行かなかった。ひどい家族である。。。ははは。それとも、うつると困るから行かなかったのかな。

 

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うちのオークの木に初めてドングリができた

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ずっと書くのを忘れていたが、うちのオークの木にドングリができた。この木は長男が小学生の時、earthdayの日に学校からもらってきたものだ。まだまだその頃は親指ぐらいの太さしかなく、野生のウサギに噛まれたら一瞬で無くなってしまいそうだった。昔、ペットのウサギを飼っていたことがあるのでよく分かる。それで、その木のまわりに囲いをまわしてそれなりに大事に育てていた。

 

長男が夏の頃に緑色のドングリがこの木になっているのを見つけた。まだまだオークの木としては小さいが、りっぱにドングリを作り出すぐらいに成長したのだね。10年ちょっとかかったかな。というわけで、今は野生のリスが大喜びでその木に寄ってくる。秋である今ごろには、リスは餌になるものを土だとかに埋めて、冬の間に少しずつ食べられるように準備する。外でリスの様子を見ていたら、なんだかバリバリ言わせていたので、きっとリスがドングリを食べていたのだろう。

 

ここに来る前は、イリノイに住んでいた。アパートの2階だったのだが、かなり人に慣れたリスがいた。バルコニーにリスが来る度にナッツをあげていたのだが、そのうち手からナッツを取って食べるようになった。私たちから離れることもせず、喜んで食べていた。たまにガラス戸が空いていると、リスが家の中に入り込んでいて、背伸びをしながらナッツをもらえるのを待っていたことも何度かあった。家の中に入っても、家中を走り回ったりはせず、ただ待っているだけだったので良かった。外の調子でばんばん走られてはたまったものではないだろう。

 

ちなみに、私が今住んでいるアメリカ中西部では、家のまわりにウサギやリスの他、ポッサムやアライグマがいる。もう少し自然のあるところだと、スカンクや鹿もいる。あと、アルマジロもいるなぁ。フリーウエイを走っていると、たまに死んでしまったアルマジロを見る。そういえば、なぜかうちの近所にターキーがいたことがあった。ものすごく大きい鳥がいてびっくりしていたところ、息子にターキーだと言われた。メスのターキーで茶色で、いわゆる私たちがイメージするようなかんじではなかったので、ターキーだったとは分からなかった。あんなに大きいのに、バサバサと飛んで、近所の家の屋根に上っていった。

 

というわけで、自然界の話でした。読んでくれてありがとう。

Thanksgiving

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今週の木曜日はThanksgiving Day だ。今まではそれなりにこの日にあった食事を作っていたが、今年は3人しかいないし、体調もかなり良くはなってはきたが、まだ料理をするのは少しつらいので、近所のスーパーにたのむことにした。4人分で45ドルとかだったかな?内容はターキー、マッシュポテト、プラス二品のサイドディッシュを選択、それとロールパンってところ。デザートは作るか買ってくるか、まだ考え中。

 

アメリカのThanksgivingだとかクリスマスのご馳走なんて、正直たいしたことはない。普段食べているものがたくさんならんでいるだけ、というかんじ。私はもっと別のものを作りたいし、食べたいのだが、夫は好き嫌いが多いし、夫のお父さんが長年作ってきたものが彼にとってのホリデーのご馳走なのだろう。それなのでいつも同じものばかり作っていた。

 

ホリデーも夫のお父さんの奥さんが生きていた頃は、奥さんの家族も集まってかなりワイワイしていたが、今は集まっても数人だもんな。私の子供たちもホリデーだからといって私の家に来ることはないと思うし。だいたい、彼らは私がホリデーを祝うことが好きではないことも知っているので。クリスマスなんてさ、私自信はクリスチャンじゃないし、サンタ云々もくだらないしさ。多量のプレゼントを用意するのに皆必死でさ。ストレスためてさ。神はそんな状況を喜んでいるとは思えないけどね。

 

なぜ私がホリデーが嫌いなのかというと、夫に原因がある。彼は日本は年越しやお正月が一番大切な日だと知っているのに、毎年大晦日の日は、これでもか、というぐらいに早くに寝て私はいつも一人で年越ししていた。まじ、9時ぐらいに寝てたよ。それを10年以上やられていたので、「私はもうこれから10年はクリスマスとかはやりません」、と宣言したのだ。だいたい、多量のたいしたこともない食事を作って、後片付けをするのは私だけだ。そして、その後は何日も残り物を食べないとならなくなる。楽しいわけがない。今年はスーパーに頼んだから楽だね、きっと。ただ温めるだけだもんね。

 

もっとマシな人と結婚するべきだったな。夫のお父さんの3人目の奥さんは、私たちが結婚した頃から、何気に離婚を勧めていた。「離婚しても、夫(というか、正確には収入が多い方)が妻をサポートする法律があるから、いつでも離婚できるからね」、みたいなことを言っていたし、「何であんな人と結婚したの?」とよく言われていた。今になってみると、あの奥さんは私を助けたかったのだろう、と思う。なぜこんな変なやつと結婚してしまったのかには、もちろん理由がある。でも、今はもっと自分のことが好きだし、今さら後悔してもね。。。

 

でも、子供たちは私が彼らをどんなに大切にしているのかはよく分かってくれているので、私はうれしい。夫にむかついたことがあって、「くっそー、なんだよあいつ、結婚しなきゃよかったわ」、なんて怒っていたら、子供たちは皆、「でも、結婚しなかったら自分達生まれてなかったよ」と言うのよね。夫のことは嫌いでも、子供たちのことは大好きだし、大切にしていることを彼らも分かっているのだな、と思った。

 

ちなみに夫は未だに原因不明の、長期に渡る咳とゲロの闘病中。でも、咳は収まってきたような気はする。

 

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夫の体調

夫は来年に50歳になる。でも、見た目は60歳ぐらいだ。若い時から老けて見えた。若い時からシワが多く、肌は汚かった。その上に禿げ上がった頭にひどい歯並び。。。シワは今も多いが、肌の汚さは今は年相応かもな。ハゲはその頃から進行することはなかったようで、薄いけど一応ほぼまんべんに髪は生えているかんじ。私の父がアラフィフの頃はこんなにボロボロな見かけではなかった。背はもっとぴっと伸びていたし、体全体の筋肉も衰えてはいなかった。(彼はなぜか日本人にしては筋肉質だった。職場にジムでもあったのか?と思ってしまうぐらい。)髪だってフサフサでいつもオールバックにしていた。

 

夫がボロボロなのは、見かけだけではなく、体の内側もアラフィフとはほど遠くボロボロだと思う。ここ数年、冬の間は1ヶ月ぐらい咳き込んでいる。あまりにも咳がひどくて、毎日のように吐き戻しているぐらいだ。ちなみに、夏の間もよく咳をしていた。今年もすでに咳き込んで戻しているので、医者に診てもらったところ、痰が肺に入り込んでいるので、痰を切りやすくする市販の薬を飲み、部屋の乾燥を防ぐために加湿器を使うように言われたそうだ。すでに3週間ぐらいはたったが、全く良くはなってはいない。

 

私はアトピー以外は健康だけどな。更年期も後半戦になってきたようで、かなり調子が良くなってきたし。老けて見える人は、寿命が短いとは聞くし、夫は本当にあと10年ぐらいしか生きられないような気がするよ。まぁね、不健康な生活を送ってきたからね。食生活がひどいし、自分の部屋の掃除もぜんぜんしない。彼の部屋の隣にあるトイレなんかカビだらけ。掃除機なんて月に一度ぐらいしかかけていないのでは?

 

やっぱり、日々の積み重ねが将来の健康に大きく影響するのだろうね。私は長生きはしたくはないと思っていたが、ふと思ったら65歳ぐらいからかな?保険だとか援助がもらえるので、それまでがんばって生きたら援助を使いながら細々だろうけど生きていけるのかな、とは考え出した。まぁ、今から15年後にはどんな状況になっているかは分からないが。車がない生活はここでは無理だと思ったが、買い物はデリバリーが頼める。ウォルマートは年間100ドルでフリーのデリバリーができるのだが、毎回タクシーを使うよりも断然安いし、車の維持費を考えると婆さんになったときはデリバリーを活用した方が得かもしれないね。通院なんかも病院で送り迎えしてくれる。もちろんお金はかかるが、タクシーよりは安い。その他、昔だったら銀行だとか出掛けないと行けないところがけっこうあったが、今はネットでいろいろできるし。幸い、私の住んでいるところはアメリカでも町の中なので、健康だったら徒歩でいろいろな所に行ける。婆さんになったら時間なんていくらでもあるだろうから、気候がいいときは歩いて出かけるのもいいだろうな。

 

そんなかんじで、老後のことについて、ちょっとポジティブに考えてみた。日本はお年寄りの交通事故が多いが、私の父は当時、すでに車の運転は70歳までと決めていた。残念ながら、70歳になる前に亡くなってはしまったが、アメリカもそうだが田舎はどうしても車がないと生活できないよねぇ。運転と言えば、最後に家族旅行をしたときは、私の弟が運転をした。半分不良みたいだった弟の車は真っ黒な日産の車で、ヤクザみたいな車、と呼ばれていた。でもね、父は自分で運転しないでいいのは本当に楽だ、と言っていた。母は運転はしないので、旅行などで知らない道を運転することがどんなに大変なことなのか分からない。よっていつも助手席に座っているクセに、いつも居眠りしていた。父は冗談っぽく「ぜんぜん助手の役目をはたしていない」と言っていたな。なんか、父のことをいろいろ思いだしたよ。

 

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やっと生きる力が沸いてきた

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なんて書くと大袈裟だが、春からアトピーがずっと悪くて、強い痛みがずっとあり、かなり落ち込んでいた。痛いから外出なんかも必要最低限しかしなかった。痛いから好きな運動もあまりできない。じっとしているとあまり痛みが感じないので、昼ぐらいまでベッドで過ごすことが多くなっていた。もともと寝る時間も遅くて、夜中の2時とか3時に寝るかんじなのだが。

 

ストレスが一番いけないとは言うが、こんな状態でストレスがない方が不思議だって。音楽でも聴こうか、と聞いてはみたが、なんか疲れる。美味しいものでも食べようか、と思っても痛くて料理がしにくい。でも、最近はごくたまにデリバリーを頼んで美味しいものを食べるようにはしている。

 

なんかいつだかネットで読んだが、アトピーというものは春から夏には症状が重く、冬は比較的軽いらしい。私はまだアトピーになって3年目なのでよくは分からないが、言われてみると、確かに春や夏からひどくなりはじめ、冬の間は肌が少し乾燥するぐらいでけっこう落ち着いていた。

 

そのためか、ここ数日はやっと肌がきれいになってきた。うれしい。ものすごくのろい速度で回復はしてはいたのだけど。のろすぎてあまり実感がわかなかったが、夏の頃は湿疹もたくさんあって痒かったし、痛みももっと酷かった。ここ数日は肌の色もきれいになってきたし、皮剥けも減ってきた。あと少しでかなり楽になるだろう。

 

というわけで、やっと生きる力が沸いてきたのだ。ははは。アトピー程度の病気だと、どこまで自分を押して無理をするべきか、ちょっと考えてしまう。私は今は仕事もしていないし、家事だって必要最低限しかしていない。ずっと家にいるから楽しいこともあまりないし、生きていてなにが得なのか、と暗くなるばかりだった。でも、冬に近づき、調子が良くなったらたくさん外出をして、行ったことがないレストランにも行きたいな、クラブで全バンドは無理でも、最後の2バンドぐらいの演奏を見に行ったりもしたいな、などどいろいろ考えている。春になる前にいろいろ楽しまないとね!

 

痛くて動きたくないので、ネットもニュースをチェックするぐらいだった。スマホで見ているのだが、スクロールするのだけでもかったるくって。今まではここまで何もする気になれないことはなかったのだが、まぁ、いいかげん、こんな体にいやになってしまったわけだね。今はちょっとだけ希望を持てるようになってはきた。

 

それで、あまり動かなくても楽しめる、ということで、ここ数週間はたまに動画をみていた。子供の頃からテレビはあまり見ないやつだったのだが、ふと、今のこの状況だと動画を見たらいいかな、と思って。それでなんとなく日本の映画を見始めた。映画はじつはあまり好きではない。アメリカの映画は得に好きではない。大袈裟だし、映画っぽく喋るから何を話しているのかよく理解できなくて。日本の映画やドラマは演技が下手で好きではなかった。というか、たぶん、それが映画だとかドラマっぽい話し方だったのだろうね。

 

それでかなり久々に日本の映画を見たのだが、けっこう面白かったし、みんな演技もかなり上手くて楽しんでいる。とってもきれいな女優さんだな、と思ったら、北川景子さんだった、とか。あまり女優とか知らないので、「きれいな人だとはよく聞くが、本当にきれいなんだなー」とびっくりしたりね。学園ものから、家族のはなし、会社関係、初老の社会がテーマのものなど、いろいろ観た。日本の様子もわかるし。服装がかわいいね。

 

みんなのブログもあまり読んでいなかったので、これから読むよ。

 

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思い出したくない家族

夫の弟の葬儀らしいものが先週末にあった。日本だと亡くなった後、数日後に葬儀になるけど、アメリカだと葬儀の準備ができるまできちんとしたところで預かってくれる。だからか、夫の弟の葬儀も亡くなって3週間後ぐらいだったのか?でも、土葬ではなく火葬にすると言っていたので、すでに灰になっていたところを隣の州のお墓まで運んだのが先週末だったのかもしれない。私は相変わらずアトピーがひどいので参列はしなかったし、夫もお葬式ではなく"thing"と言っていたので、集まってくれた人たちと軽く何だかのセレモニーをした程度なのではないかと思う。夫に聞けばいいと思うだろうが、彼は自分に興味のないことは話さないので、聞いても大して教えてはくれないので敢えてだまっていた。

 

けっこう多くの人が集まってくれた、とは言っていた。誰かが亡くなると最低でも20人ぐらいは葬儀に来てくれる、とはいうが、まぁ、そうだろうな。家族、近所のひとたち、友達、職場の人など20人ぐらいは軽く集まりそうだよね。

 

そして、その来てくれた人たちのなかに、夫のお父さんの二人目の奥さんの家族がいたそうだ。(彼らはとっくの昔に離婚している。)私たちは彼らから遠くに住んでいることもあって、この家族のことはすっかり忘れていた。この奥さんは4人だか5人の子沢山だったのだが、そのうちの二人がすでにドラッグで亡くなっていたらしい。

 

私はこの家族には一度しか会ったことがない。というか、一度会って、もう会いたくないと思ったのだ。彼らの家はとても貧乏で、家具なんかはボロボロ、ダイニングの椅子なんか全く揃っていなくてバラバラ、というか、オフィス用の椅子だとか、椅子ならなんでもいいか、みたいなかんじ。どっかから拾ってきたのか?

 

奥さんは胸がものすごく大きいのだが、中年なのでその胸はお腹のあたりまで垂れ下がっていた。ブラなんてしていないだろう。まぁ、そんなのはどうでもいいのだが、この家族のなかに中学生の男の子がいたのだが、平日なのに学校に行っているわけでもなく、なぜか家にいる。理由を聞いたら、中学を退学になったそうだ。ということは、自動的に高校にも進めないし、小学校しか学歴がないことになるわけ?まぁ、ホームスクーリングだとかもできるが、大卒の人が教えないとならないし、まずそこまでやりそうな家族には見えなかった。

 

家はそこそこきれいにしていたし、ボロくても家具があるだけでもマシなのは今になると分かる。というのも、いろいろな貧乏人の話を聞いてきたからだ。貧乏すぎて家具がない家の子供たちは、椅子やベッドの存在を知らないので、学校でも椅子に座らず、床に座っている、という話を聞いた。もちろん、日本では床に座るし、床に寝たりもするが、座布団があったり布団をしいたりする。でも、こういった家庭にはそんなものもないのだろう。

 

私がこの家族に会ったのは日本から来たばかりの頃で、そんな貧乏な人たちは見たことがなかったし、ましてや中学も通えないような子がいる家庭なんて想像もつかなかった。もう会いたくないと思っても仕方がなかった。

 

でも、この家族とそのとき以来は全く付き合いがなくて本当によかったと思った。だって、二人もドラッグで亡くなっているなんて、うちの家族にも悪影響でしかないだろう。弟のセレモニーに来てくれたことには感謝はするし、今はあの頃よりもいい生活をしていることを願う。ま、うちも今は貧乏だから偉そうなことは言えないけどね。

 

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