アメリカ在住24年

f:id:Nikkisc:20190806115008j:plain

 

デーブ・スペクターさんは日本にもう36年も住んでいるそうだ。アメリカに戻るつもりはないらしいが、国籍はアメリカのままだそうで。税金の関係などから国籍を変える人もいるだろうが、やはりアイデンティティーの問題も大きいと思う。私の父は自分の本籍を、子供の頃から住んでいたところから変えなかった。彼の他のきょうだいたちはどうだったのだかは知らないが、やっぱりこれもアイデンティティー云々で変えたくなかったのだろう。ちょっと遠かったが、戸籍なんて取りに行くことはまれだったので別に不便には感じなかった。

 

私は24歳のときにアメリカに来た。そして、今はアメリカに住んで24年目なので、アメリカと日本と丁度同じぐらい滞在していることになる。日本には5年ぐらい前に一度帰っただけだ。実家の回りは昔よりもかなり便利になり、年を老いた母でも充分に生活できる。それでも、景気の悪さは感じた。私が日本にいた頃の、キラキラしたかんじはなく、繁華街だったところはシャッターが閉まった店ばかり、あんなに楽しんで買い物をした場所が、なんだかグレーで暗い感じに見えた。もちろん、今でも栄えているエリアもあるだろうけど。

 

ちなみに、私は10年前にアメリカ国籍を取った。子供たちが日本に住むことはまずないだろうし、今住んでいる家を売っても、日本に移住できるほどのお金がない。近くにあった日本領事館が閉館になってしまい、パスポートの更新などができにくくなってしまったので、グリーンカード(アメリカ永住権)が切れる時に思いきってアメリカ国籍を取った。全く後悔はしていない。普通にアメリカ人として生活できるので楽になった。もう、日本の様子もよく分からなかったし、日本の家族ともそんなにいい関係でいるわけでもなかったし。5年前に日本に行ったときは本当に、本当にストレスだった。母と一緒にいるのが耐えられなかった。私の弟はずいぶんと前に離婚しているのだが、近所のひとは知らないので、弟のことを聞かれるとつじつまを合わせるのが面倒だった。ちなみに、弟と母はその頃喧嘩中だったので、弟に会うことはできなかった。それでも、楽しもうと努力はした。子供たちにはいい思い出にして欲しかったし。それでも、正直に自分の気持ちは伝えていた。日本にいるのはつらいけど、動いているパンダが見られて良かった、だとか。ははは。

 

よっぽどつらかったのだろうな、帰ってきたら帯状疱疹になった。明菜ちゃんや雅子さまもかかった帯状疱疹。私ってどれだけ繊細なんだ?なんて思ったが、べつに繊細なつもりはない。ストレスがただ半端ではなかっただけだ。そんなこともあったので、あまり日本に行きたいとも思わない。日本人の友達皆に、日本は楽しかったか、と聞かれたが、「もう行きたくない」と返事をしていた。皆、驚いていた。「うん、楽しかったよー」という返事が当然返ってくると思っていたそうで。

 

なんだか不思議。アメリカに移住することが決まったときは、日本を離れるのが本当にいやだった。最初の5年ぐらいはアメリカが好きになれなかった。今は日本よりもアメリカの方がいいと思っている。まさに、住めば都ってやつなのかな。

 

読んでくれてありがとう。