やっと両親を受け入れられるようになった

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(弟がこのまま写真を撮ったのだろうか?)

私はあまり自分の家族は好きではない。嫌いというわけでもない。表面上、仲良くしていただけ。あまり感謝もしていない。嫌な娘ですね。

 


私の夫のお婆ちゃんは、ものすごくチャキチャキした人だった。私たちが結婚した頃にちょっと会ったことがあるが、当時70歳ぐらいだったと思うが、一回りほど年下の男性と再婚したばかりだった。この男はいかにもヒモになりそうな、キモくて男らしさがない人だった。

 

夫は子供の頃に母親を亡くしたので、このお婆ちゃんが身の回りのことはいろいろと手伝ってくれたらしい。お婆ちゃんとの思い出はきっとたくさんあるだろうと思う。


だが、このお婆ちゃん、自分の子供たちにはかなり嫌われていたことが、ずっとあとになって分かった。夫の父方のお婆ちゃんだったのだが、お父さん(義父)は男だからか何もお婆ちゃんの悪口みたいなことは言ったことがなかった。それで全く気がつかなかった。「まぁ、あのチャキチャキ具合じゃ、人の話しなんて聞かないんだろうな」と思ったりもしたが、そこまで私は自分の両親を嫌いになりたくはないな、と思った。

 


今から10年ぐらい前になるが、ファミリー・リユニオンがあった。夫のお父さんの家族が集まったのだ。初夏で皆でキャンプをした。アメリカ中西部か、北側に皆住んでいたので、その真ん中ぐらいのところで集まった。お父さんは4人きょうだいなので、この時はかなりの人が集まった。犬もいた。うちも含め、そのきょうだい達の孫の世代まで皆来たので、子供たちも沢山いた。でも、皆初対面だったからか、子供たちは本当に仲良く遊んでいた。他のキャンパー達も「こんなに子供が集まっているのに、本当にみんないい子だね」と言っていたぐらい。

 

この大きなリユニオンは、実はお婆ちゃんが亡くなったから開催したと言っていた。別に皆がお婆ちゃんのお葬式に集まったとかいうわけではない。たぶん、誰もお葬式には行っていないだろう。きょうだい達は母親であるお婆ちゃんが嫌いだったので、彼女が生きている間は皆で集まらなかったそうで。そこまで親なのに嫌いになれるのか?と思ったが、何か嫌なことがあったのだろう。亡くなるまで許せないなんて、よっぽどのことだったのだろうが、私はそうなる前に両親をもう少し理解して、少しでも好きになりたいとは思った。

 


父は私が25歳の時に亡くなったので、今でも生きていたらいろいろ聞いてみたかったな、と思う。戦時中のことや、子供の頃の思い出などを聞きたい。父の仕事のこともよく知らないので、今だったら思い出のひとつとして話してくれるだろうと思う。そして高校や大学の学費を出してくれたことにはとても感謝している。それ以前に、裕福ではないが、何の心配もしないで子供時代を過ごせたのは、父が頑張って働いてくれたからだ。リストラにあってしばらく家にいた時期もあったが、お陰で父との関係が良くなった。一緒にいる時間が増えたので自然と会話も増えたからだ。父はしばらく海外旅行を楽しんだ後(アジアを船でまわった)、何の問題もなく再就職した。

 


母に一番感謝をしているのは、ピアノを習わせてくれたことだ。母がパートでの収入から月謝を払ってくれた。また、高いピアノを買ってくれたことも両親には感謝している。私には音楽があったので、どんなときも立ち直ることができた。また、音楽を通していろんな人と知り合えたし、演奏したり、ライブを見に行ったりといった楽しみもあった。些細なことだが、毎日高校の時にはお弁当を作ってくれたことも感謝している。母自身もパートにお弁当を持って行っていたので、そのついでに私の分も作っていた、という程度にしか思っていなかったようだが、毎朝作るのは大変だ。

 


こんな感じで人並みなことしか感謝はしていないが、またそのうち、もっと感謝したいと思えることが見つかるだろう。しかし。母のボケ具合は本当に心配。。。

 

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